50代からでも、自分の大好きなことを探せるのか?

50代男が、大好きなことを探しはじめたらどうなるのか?

3.11の夜、焼肉屋で考えた人生のこと

あの東日本大震災から、もう13年もたったのですね。


あの日、都内にいたのですが、あまりの揺れに、職場のPCや棚が倒れないように抑えたのを、今でも覚えています。揺れが収まったあと、ニュースを見て大変なことが起こったと慌てながらも、妻や岩手の実家にメールで連絡。比較的簡単に家族の無事が確認できたのが不幸中の幸いでした。そうしているうちに、テレビで津波の様子が繰り返し映し出され、なんとも言えない気分になったのを覚えています。その日、山梨から東京に換えるはずだった仕事仲間は、中央道で地震に遭い、山梨に引き返すことになりました。

 

都内では電車が全部止まり、夕方段階から今日はもう帰れないだろうなぁと予想。夕方にコンビニに行ってみると、弁当やらおにぎり、カップ麺などはほぼ品切れ。こんな時は、ほんとみなさん動きが早いなぁと関心したものです。

 

そんなわけで、そうそうに帰宅を諦めた私。

 

夕飯をどうしようかと考え、同僚たち(アルバイトも含む)と焼き肉屋にいったのでした。やはりというか、店はガラガラでした。そりゃ、みんな頑張って家に帰ろうとしてたから、当然です。実際、あの日は多くの帰宅困難者が出ましたね。そう考えると、かなり特殊な思考の持ち主だと、我ながら思います。そして、あんな状況だったのに、営業していた焼き肉屋さんにも感謝感謝です。ちなみに、あの日、焼き肉を食べながら、今後は水やら食料のストックが絶対必要だなと考えたものです。

 

ゆっくりと焼肉を食べて職場に戻りましたが、状況は好転せず。
夜中近くになり、一部の私鉄が動きはじめ、家が近い同僚は帰宅していきましたが、私が通勤で使っていた路線は復活せず、結局職場に泊まったのです。

 

翌日、普段の3倍近い時間をかけて帰宅することができたのですが、家は特に被害もなくとても安心したのを覚えています。ただ、その後数か月に渡り、関東では飲料水や乾電池、そしてお米などが手に入りにくい状況になりました。あの時ほど、「人は自分の不安を解消するためなら、買い占めをしてしまうんだ」というのを思い知ったことはありません。そして、デマやフェイスニュースを、簡単に信じてしまう人がいることも。あの時から、1次情報を知ることや、他の情報を照らし合わせることを実践するようになりました。いろんな意味で、私の人生と生き方を変えた震災だったなと思います。

 

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