50代からでも、自分の大好きなことを探せるのか?

50代男が、大好きなことを探しはじめたらどうなるのか?

批判の本質は逃避である

誰かを批判したくなること、ありますよね?
今だと、自民党とか、イスラエルとか、モノ申したい方も多いのではないでしょうか?

 

人は、誰かがずるいことをしていたり、ヒドイことをしているのを見ると、それを批判したくなるものです。それは、人間の本能と言えるかもしれません。なので、反射的に批判したくなる気持ちが沸き上がることを、止めるのは難しいでしょう。

ただ、ずっと批判的な気持ちにとらわれているのは別です。

 

テレビに向かって文句を言う人っていますよね?

 

もともと自分の中に不平不満があって、それをテレビに向かって吐き出しているわけです。極論を言うと、暇つぶしです。もし、やりたいことに十分時間を使えている状況なら、テレビに向かって不満をいう暇なんかないはずです。そんなことより、楽しいことがあるのですから。

 

ずっと不平不満を抱えているなら、それを解消するにはどうしたらいいのか?ということに意識を向ける必要があります。もしくは、本当に自分が何をやりたいのかに意識を向けるほうが、人生が楽しくなるでしょう。でも、それに向き合うことなく、ただ目の前にあることを批判してしまう。つまりは、本来向き合う必要があることからの「逃避」です。


実際、批判ってとっても簡単。
自分で解決策を考える必要もなければ、多くの人の合意形成をする必要もありませんし、自分が本当にやりたいことに意識を向けて、打ちのめされる必要もないわけです。相手の言動に対して、条件反射的に批判を繰り出せばいいのですから。相手が早く動けば、「拙速だ!」と言えばいいし、そうでなければ「遅すぎる!」と言えばいいのです。多数決で決めようとすれば「少数意見が反映されていない」「論議が尽くされていない」などお決まりの文句を言えば、相手に悪い印象を与えることができるのです。

 

なんで、もし自分が誰かに批判を言い続けているとしたら、本当は向き合う必要があることから、逃避しているのではないか?立ち止まって考えてみましょう。

 

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