50代からでも、自分の大好きなことを探せるのか?

50代男が、大好きなことを探しはじめたらどうなるのか?

複数のコミュニティに属する重要性とは?所属感とリスク分散の秘密

あなたは、どこに所属してますか?
働いてる人なら、自分が勤めている会社でしょうし、学生なら学校だと答えるでしょう。自分の家庭とか、一族とか、はたまた地域や、日本に所属していると考える人もいるかもしれません。

 

今日、面白い話を聞きました。
ある会社の社長さんは、自分で作った会社なのに、自分がその会社に所属している感覚が乏しい、というのです。ほんと、所属感って面白いですよね。その話を聞いて、実は私も会社への所属意識って低かったなぁ、と感じていたのを思い出しました。

 

正直、私の場合はかなり特殊。
自社の社員とは、最初の教育期間は関わりが多かったものの、配属になってからは、親会社の社員の中に混ざって仕事をしていたのです。もちろん、自社の先輩もいたのですが、全体から見れば少数。その後、自社の拠点に席は起きつつも、多くの時間をお客さん先で過ごすことが多かったのです。自社のイベントもあまりなかったし、自分はどこの会社に所属してるんだろう?というのが、すごく曖昧な社会人生活を過ごしてきました。なので、今でも所属している会社より、顧客先のほうに所属している感覚が大きいのです。何しろ、とある仕事先では、研究所のカギを持たせてくれるほどでした。自社の拠点のカギなんか持たせてもらったこともないのにw

 

働いているうちは、会社に所属しているという感覚がありますが、仕事を辞めると、その所属感が失われるというのは、精神的には大きいのかもしれません。会社にも属していない、かといって、それまでに家庭より仕事を選択していると、家に所属するのも許されない感じがするでしょう。趣味の仲間達がいたり、地域の活動をやっていたり、ボランティアとかしていれば、所属感の欠乏は少なくなるんでしょうね。そういう意味では、1つのコミュニティに属するより、緩やかでもいいから、複数のコミュニティに入っておくほうが、リスクを分散できると思います。

 

また、この所属感の厄介さは、排他的になるところにもある気がします。例えば、宗教とか国家、民族などです。他の宗教を信じている人は、人間じゃないとか、自分たちの組織と違う考え方を持っている人には、何をしてもいい、みたいな危うさがありますこれまでの長い歴史においては、1つの考え方で統一された集団というのは、必要不可欠だったかもしれません。ただ、今となっては、もうそれも必要性が薄れてきていると思います。戦争をしてはいけないとか、暴力はよくないとか、不正はよくないというのは個人レベルではみんな認識していると思いますが、集団の中にいると、所属している組織の論理が優先されてしまう傾向があると思いませんか?それは、人類がより平和な世界を創っていこうとする上で、克服しなければいけない課題だと思います。

 

ああ、また面倒がことを書いてしまったw

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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