50代からでも、自分の大好きなことを探せるのか?

50代男が、大好きなことを探しはじめたらどうなるのか?

東日本大震災から12年。あの時のことを思い出しておく

こんにちは。
東日本大震災から、今日でちょうど12年ですね。

あなたはあの日、どこで、何をしていましたか?
そして今、地震にどんな備えをしているでしょうか?

私はあの日、都内の事務所で仕事をしていました。

地震のあった瞬間、あまりの揺れに驚きつつ、
PCモニタや、棚が倒れないように手で
支え続けていました。

一端揺れが収まったあと、
まずニュースで地震の情報を確認。

共働きの妻も仕事中でしたが、
すぐにメールで無事を確認。

その後、兄に連絡。
ひとまず実家の無事を確認して、一安心。
ちなみに実家は岩手県盛岡市
相当の揺れだったとか。

その後、ネット経由で情報を再度見ていると
あの「津波」の映像が流れてきたのです。
正直、見ていられなかった・・・

そして、関東の電車は、ほぼ不通になって
いることを確認し、今日はもう帰るのは
難しいだろうということを、妻に連絡。
むこうは、定時を待たずに退社できることになり、
時間はかかったものの、無事に家に着いたとのこと。
家のほうは、大した被害も無かったことが確認でき
安心したのを覚えてます。

近しい人たちの無事が全員確認できたところで、
コンビニに行ってみたところ、
夕方時点で、パンやおにぎり、カップ麺などは
ほぼ無くなってました。

こういうとき、食料の確保は大事ですよね。
それを痛感したものです。

今は、ローリングストックで2週間分の食料、水を
確保していますが、みなさんは、まだ続けているでしょうか?

そして、その夜は家に帰らないことを決めた仕事仲間と
焼肉屋さんでディナー。店内はめっちゃ空いてました。
店も、よくやってたなぁと感心。
この時は、その後続く計画停電のことなど、
まるで想像していませんでしたね。

夕食後は、仕事場に戻り、
ひたすら情報収集。

ニコニコ動画では、全然笑えない動画が流れまくってました。
その後、仕事場の床で就寝。
後にも先にも、仕事場に泊まったのは、あの日だけです。

翌日、3月12日には電車が動き出したので、
無事に家に帰ることができました。
まあ、通常の倍の時間がかかったのは、ご愛敬。

仕事も1週間ほど休みになったので、
ずっと家にいたのを覚えてます。

みなさんは、あの日どんな風に過ごしたでしょうか?
この機会に、思い出してみるのも良いと思います。

そして、あの時感じた恐れ心配に対して、
今どんな備えをしているのか、確認してみてください。

職場から、家までの道の確認や、
水や食料、電気などの備えがおろそかになっていないか、
今一度確認してみましょう。

地震や、水害は、いつ起こるかわかりませんし、
ウクライナのようなことも、ないとは限りません。
様々なことに備えておきたいものですね。

では、良い1日を!