
今日は久しぶりに涼しい1日でした。
冷房をつけずに寝れた夜は、本当に久しぶり。
今日も幸せな1日をありがとう。
その「幸せ」ですが、何か「幸せ」になる条件があるわけじゃありません。お金さえあれば、誰かが私を認めてくれたら、サッカーがうまくなったらとか、何か基準があるわけではないのが「幸せ」の不思議なところ。だから、AIに幸せは判定できないし、一生使いきれないお金を持つことができたとしても、きっと幸せになることはできないでしょう。仮に、使いきれないほどのお金を手にすることが出来たとして、それを預けている銀行が破綻するかもしれないし、不動産を買ったとしても、それが値下がりするかもしれません。株などに投資しても、暴落するかもしれません。そもそも、明日に病気になるかもしれないし、家族と離別するかもしれないのです。そういったことを考えだすと、どんなにお金があったとしても、幸せ感がそんなに増えるとは思えないはずです。
幸せは、ごくごく身近な瞬間にあるものです。朝目が覚めたときに家族がいること、家族みんなで朝ごはんを食べることができること、誰かに親切にされた瞬間や、お風呂に浸かってほっとした時など、瞬間瞬間に感じるものだからです。その大事な瞬間を忘れて、自分に足りないものばかりにフォーカスすると、人はあっという間に不幸になり下がるのです。
それは「安心」も同じです。
コロナ過で「安心安全」を求めた人は、多かったと思います。「安全」であれば、ある程度基準があります。それは耐震性能だったり、マスクの仕様だったり、人との距離だったりします。福島の「処理水」なんかも、科学的に安全とされる基準を満たしているので、海洋放出しているわけです。
ただ、科学的にどんなに「安全」と言ったところで、それで「安心」できるかというと、そうではありません。たとえ、確率が0.00001%だったとしても、自分が「安心」できなければ、絶対に安心できないのです。それは、もはや自分の心の問題であり、周りから見て、どんなに安全基準を満たしていたとしても、安心できないのです。「放射脳」なんて言葉もありますが、レントゲンや、飛行機に乗るよりも小さい放射線量だったとしても、本人が危険だと思えば、そこに安心はないのです。そういう人でも、病院でレントゲンをとったり、普通に飛行機に乗ったりするのですが、本人の中では、それは安心なわけです。
だからこそ、「幸せ」や「安全」は、あなた自身が自分の中で感じなければならないものなのです。実現不可能な条件を付けたりすることは、あなた自身が「苦しみ」を自分で選択しているのだという現実に目を向けてみましょう。とはいえ、生き方は自由です。進んで苦しみたいという人だっていると思うので、それはそれで許してあげたいですね。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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