50代からでも、自分の大好きなことを探せるのか?

50代男が、大好きなことを探しはじめたらどうなるのか?

誰かを犠牲にしない、自分も犠牲にならない社会を目指したいよね


昨日は朝から夜中まで仕事だったので今日は1日完全な休日。
働きづくめは疲労するし、今日は蒸し暑いので、体力を回復しつつ、家族で楽しい1日を過ごしている。休みなしで働き続けるのは、サラリーマン時代に充分経験しているので。マジ勘弁だし、労働基準法を守るのも、ほんと大事。

 

かつて「24時間戦えますか?」というCMがあったのを覚えている人もいると思う。
あんなのがもてはやされた時代もあったが、そういう時代は永遠に来ないでほしいものだ。


今、時代の流れは、誰がか不当な重労働をしなくても良いような社会へと向かっている。


2024年問題と言われていたトラックドライバーの労働時間の制限は、社会が多少不便になったとしても必要なことだったと思う。もし、あなたの快適な生活が、誰かの犠牲の上になりたっているのが見えてしまったら、さすがに居心地が悪いのではないだろうか?Win-Winと言いながら、だれかが貧乏くじを引かされるのでは、たまったもんじゃない。宅急便のドライバーさんを20時以降に見ることはほとんどなくなったが、たぶん多くの人は困っていないと思う。むしろ、今まで申し訳ありませんでした、という気持ちのほうが強い。

 

『ワンピース』で、世界の王族たちが動く歩道で移動していくシーンがあった。
実は動く歩道を動かしているのは、歩道の下にいる奴隷たちだったのだが、歩道の上にいる人たちには、下にいる奴隷の姿は見えないのだ。

 

それと同じ構図が、自分たちの社会の中にもあるのかもしれない。そう考えることが、必要なことだと思う。だから、宅急便の再配達が極力出ないように、気を付けている。自分の利便性のために、誰かに犠牲になってほしくないからだ。同じように感じている人は、いるんじゃないかと思いたい。

 

同時に、自分が誰かのために犠牲になっていないかも、チェックしておきたい。

 

例えば、あなたが仕事をしている会社で、全然給料があがらないとか、カスハラからで従業員を守ってくれないとか、そういうことがあれば、一人ひとりが声をあげていかなければ、状況はなかなか変わらない可能性がある。なので、おかしいと思ったことに、おかしいと声をあげられることが普通になる、そんな社会になっていけるよう、できることをしたいと思う。正直、かなり青くさいことを言ってるなと思うのだが、こういう青臭いことを何歳になっても言い続けられる大人のほうがカッコいいんじゃないかなぁ。

 

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