50代からでも、自分の大好きなことを探せるのか?

50代男が、大好きなことを探しはじめたらどうなるのか?

親ガチャよりも激しい、国ガチャの落差

親ガチャって言葉、ここ数年で耳にするようになりましたね。

 

子は親を選べない。
それなのに、親によって人生が決まるのは不公平だ、という気持ちが根底にあるのでしょう。不公平に見える社会への恨み節とも言えると思います。ほんと、親がお金持ちかそうでないか、愛情いっぱいな親か、そうでないかなどで、子供の人生は全然違ってくるでしょう。また、努力しても状況を変えられないという無力感もあるのかもしれません。

 

ただ、それよりも重要なのは、生まれた国だと思いませんか?
言ってみれば「国ガチャ」です。

 

日本で生まれていれば、教育も受けられるし、職業を選ぶこともできる。少なくとも、明日の命の心配をしたり、水や食べ物の心配をしなくても良いという人のほうが、多いはずです。

 

でも、ウクライナや、ガザ地区に生まれていたらどうでしょう?
明日生きていけるか?食べるものはあるのか?そんな心配をしながらずっと生きていかなければなりません。

 

日本では、物価が高いことで苦しんでいる人がいる、と言われていますが、ジンバブエに生まれていたら、前月比796億%のインフレを経験することになったかもしれないのです。796億%ってだけでも想像できないのに、前月比ですよ。今日もらった現金が、明日には価値がほぼゼロになってる、そんな生活は、日本にいる限り経験せずに済むのです。そこまでいかなかったとしても、対前年比のインフレ率が289%のアルゼンチン、お金の価値が2年で3分の1になったトルコなどの状況は、日本ではありえないことです。

 

ロシアに生まれていたら、徴兵されて戦地に行くことになったかもしれないし、銃社会アメリカに生まれていたら、命の危険を感じながら生活しなくてはいけないかもしれないし、就職しても業績次第ですぐにリストラされるかもしれません。北欧に生まれていたら、20%以上という消費税を払うことになっていたでしょう。

 

もちろん、それぞれの国にも良いところはたくさんあります。
同じように、日本にも良いところがたくさんあります。
何でも自由に言えるし、どこに住んでもいい。
困っていたら助けてくれる人もいるし、どこでも医療が受けられる。
治安がいいから、安心して外出できる。
世界には、こんなことが当たり前の国なんて、ほとんどゼロです。

 

日本にいると、今の生活だけが全てだと思ってしまいます。が、世界全体で見れば、日本の中での親ガチャによる差は小さいものに見えてきます。親ガチャのせいで、良い大学に行けないとか、大企業に入れないとかよりも、そもそも教育を受けられない、生きて大人になれるかわからない人も国によってはいっぱいいるのです。

 

そう考えると、日本に生まれただけで、国ガチャは「大アタリ」だと思うのですが、みなさんどう感じますか?

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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