50代からでも、自分の大好きなことを探せるのか?

50代男が、大好きなことを探しはじめたらどうなるのか?

タイパを追い求めることで失われるもの

 

タイムパフォーマンス、高めたいですか?


普通に考えたら、単位時間あたりのパフォーマンスを高めるのは良いことです。
同じ1時間で、10キロ移動するのと、20キロ移動できるのでは、後者のほうが良いと思いますし、1日の売上だって多いに越したことはないですよね。とくに、あれもやりたい、これもやりたいという好奇心の多い人にとっては、無駄な時間は忌み嫌うべきものでしょう。

 

こういった、時間あたりの効率を高めようとすると、どうしても無駄なものだとされることがあります。それは、ぼーっとする時間だったり、お風呂でゆっくりする時間だったり、食事の時間だったりします。驚いたことに、お風呂に入らない人の割合は高くなっていると言いますし、スマホを見ながらながらで食事をする人の割合は、20代だと約77%に達しているというのです。食事の時間が無駄だという考え方自体が、ちょっと理解しかねる部分がありますが、栄養を取りたいだけで、美味しさや楽しさは不要と考えることでタイパを追求するという考え方は、方法論としてはありうるのかなとも、思います。実際、ラーメン店でスマホで動画を見ながらとか、ゲームをしながらラーメンを食べる人も、結構多いようで、店によっては8割くらいの人が「スマホながら飯」とのニュースも見ました。

 

この「スマホながら飯」は、同じ時間で栄養補給しつつ、動画を見たりできるのでタイパを良いように思います。ただ、食べるスピードが遅くなったりするでしょうし、食事を味わったり、キレイに食べるとか、そういったことは無視されていると思います。栄養補給のためにカロリーメイトを食べるのであれば、タイパを求めても良いのかもしれませんが、好きなラーメンを味わうために入ったはずの店で、ラーメンを味わえないというのは、本末転倒ではないでしょうか?味だけでなく、匂いや食感、お店の雰囲気など、食事の楽しさは、そういった要素を総合したものだと思います。それら1つ1つをしっかり味わうことを、タイパの追求という口実で捨ててしまうのは、もったいないと思います。

 

また、タイパを求めることは、空白の時間を恐れることにもつながっていると思います。自分自身の心や身体と対話したり、健康のために身体を休めたり、十分な睡眠時間を取ることさえ、タイパの観点では不要なものになってしまうかもしれません。スマホをもっていないと不安になる、というのも絶えず新しい情報に触れていないと不安になる、という側面があると思います。でも、何も考えない時間を意図的に作ることの大切さは、ブッダの時代から指摘されていることです。そして、睡眠時間を多くとることが、大きな結果を出すために欠かせないことは、大谷翔平選手の例を見ても、明らかです。彼はとにかく寝る時間を長くすることで、あの結果を出し続けているのですから。

 

あなたも、変にタイパを追求しすぎていないか、この機会に見直してみませんか?

 

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