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アニメージュとジブリ展 in 花巻へ行ってきた!

アニメージュジブリ展 in 花巻へ行ってきた!

先日、帰省した際に実家から車で小一時間ほどのところで「アニメージュジブリ展 」が開催されていたので、行ってきました。

 

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この「アニメージュジブリ展」は、

 

「一冊の雑誌からジブリは始まった」
本展覧会は雑誌「アニメージュ」(徳間書店)の
1978年創刊当時から80年代に焦点を当てながら、
スタジオジブリの原点を振り返ります。

 

 

というもので、アニメージュの創刊号から全ての表紙を展示していたり、そもそもアニメージュってどういう経緯で創刊された?とか、アニメージュから、どうスタジオジブリに繋がっていくのかなどを展示しています。

 

1978年といえば、私はまだ11歳。
宇宙戦艦ヤマト」のテレビシリーズをリアルタイムで見ていた私も、その後アニメージュを何冊か買った記憶があります。ガンダムシリーズもリアルタイムで見ていたし、学生時代は結構アニメ好きだったわけで、ファーストガンダムは大人の事情で打ち切りに近い形で終わってしまったのを当時は不思議に思っていたましたが、そのシリーズがまさかここまで大きく成長することになるとは、全く予想できませんでした。そういった、ヤマトやガンダムダンバインイデオンナウシカなどのアニメの歴史を支え続けてきたのが、「アニメージュ」だったわけです。

 

ガンプラジオラマアニメージュが盛り上げた

 

ちなみに、アニメージュ創刊のきっかけを作ったのは初代編集長の尾形 英夫氏。この人はとにかくアイデアマンで、「こんなことできたらすごいよね!」ということを考えて、それに周りを巻き込んでいくタイプの人だったようです。面白いのは、そうやって次々とアイデアを実現させていくのですが、本人は「全く実務ができない」タイプだったそうです。ただ、実務は全部人に振ってしまうのですが、最終的な責任は全部取ってくれるということで、周囲からの信頼は厚かったものの、本音でしか話さないので、煙たがられる一面もあったとかなんとか。ちょっとスティーブ・ジョブズを連想させますね。

 

その、実務のできない尾形さんを支えたのが、今ではスタジオジブリ代表取締役となった鈴木敏夫氏です。アニメージュの編集部を、様々なルールを明文化して仕切っていたのが鈴木さん。彼の手書きのルールブックが展示されているので、興味のある人はぜひ見て欲しいと思います。アイデアマンと実務が超できる人の組み合わせというのは、運命を感じますよね。

 

また、日本人なら絶対に見たことがある「風の谷のナウシカ」は、アニメージュから生まれた映画だったそうです!アニメージュには、制作過程が連載されていて、興味深かったです。このナウシカの制作が、後にスタジオジブリ設立に繋がっていったわけで、そう考えると、日本のアニメ史の転換点と言えるかもしれません。

 


最後に、ちょっと本題とそれますが、この「アニメージュジブリ展」は、可能なら平日に行くことをおすすめします。私はお盆期間中に行ったので、混雑していて当然なのですが、駐車場の運用が雑すぎるという印象を持ちました。会場の近くにある3つの駐車場のキャパは、おそらく合計で2桁止まり。駐車場の入り口にしか係員がいなくて、満車になると、とにかく入れないという運用でした。外から見れば、あそこ空いてるじゃんというところがあっても、とにかく満車を主張。会場から離れたところに臨時駐車場があるのですが、そこに案内するでもなく、とにかく車を追い返してしてましたね。駐車場の中に人員を一人配置して、全員で情報共有したり、満車になったら臨時駐車場に行ってね、とアナウンスするだけで、相当に改善されると思うのですが、そういうイベント運営のノウハウは知らないのだと思います。あくまで想像ですが、係員のみなさんはかなりご高齢で、今までのやり方で続けたいのかなぁ、と思う次第です。おかげで、臨時駐車場から20分も歩いての参加になりました(汗 臨時駐車場近くから無料のシャトルバスも出るそうなのですが、1時間に1本(泣 やっぱ普段からそういう文化なんでしょうねぇ。


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