若い頃は、「いつか」という言葉を、気軽に使っていた気がします。
いつか、あの人に会いに行こう。
いつか、あの町を訪ねよう。
いつか、時間ができたら、ゆっくり話そう。
その「いつか」は、どこまでも続く未来のどこかにあるように思えていました。会おうと思えばいつでも会える。行こうと思えばいつでも行ける。そんな、根拠のない安心感があったんですよね。
でも、人生の後半に差しかかると、この「いつか」の意味が少しずつ変わってきます。
- 自分の体が、いつまでも自由に動くとも限らない
- 会いたい人が、いつまでもそこにいるとは限らない
- 懐かしい場所も、記憶の中と同じ姿で待っていてくれるとは限らない
身体が思うように動かないというのは、若いうちはケガや病気くらいでしか経験しえないでしょう。でも、50代になると、普通になってきます、悲しいことに。このことで、人生の終わりが見えてきます。時間が無限じゃないということを、頭ではなく「実感」として知るようになる。これが、人生後半に差しかかるということなのかもしれません。
「落ち着いたら」は、なかなかやってこない
仕事が落ち着いたら。
子どもが大きくなったら。
もう少しお金に余裕ができたら。
体調がよくなったら。
私たちは、行動しない理由をつくるのが本当に上手です。
もちろん、今日を生きるために優先しなきゃいけないことはたくさんあります。責任を放り出して、好きなことだけしていればいいという話ではありません。
ただ、「落ち着いたら」と先送りしているうちに、状況がすっかり整う日なんて、永遠に来ないんじゃないか。最近、そう思うようになりました。ひとつの問題が片づけば、また別の用事が現れる。それが暮らしというものだから。
だからこそ人生の後半では、時間ができるのを待つのではなく、自分の手で時間をつくる必要があるのだと思います。
会いたい人に会うための一日。
行きたい場所へ行くための数日間。
それを「余裕があればすること」ではなく、先に人生の予定として入れてしまう。ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、それくらいでちょうどいいのかもしれません。
会いたい人には、会えるうちに会う
久しぶりの人へ連絡するのって、地味に勇気がいりますよね。
何年も連絡していないのに、いきなり連絡したらどう思われるだろう。忙しいんじゃないか。話すことが見つからず、気まずくなるんじゃないか??そんなことを考えて、結局連絡しないまま終わることもよくあります。でも実際に必要なのは、案外、短い一言だけだったりします。
> 「久しぶり。ふと顔が浮かびました」
> 「元気なうちに、また会いたいと思っています」
> 「近いうちに、お茶でもどうですか」
立派な理由なんてなくていい。「会いたいと思ったから」で十分なんです。
実際に会えば、昔のように話が弾むこともあれば、流れた時間の長さをしみじみ感じることもあるでしょう。それでもいいと思います。会わないまま想像し続けるより、今のその人に会えたという事実のほうが、ずっと大切だから。
人との関係は、いつまでも同じ形では続きません。だからこそ、そのときにしか交わせない言葉があります。感謝も、謝罪も、懐かしい思い出話も、相手が目の前にいるうちに伝えたい。そう思っています。
行きたい場所へは、動けるうちに行く
旅についても、同じことが言えます。人生の先輩に聞くと、60代には飛行機がつらくなるそうです。だから、遠い国じゃなくてもいいんです。ずっと気になっていた隣町の喫茶店でも、子どもの頃に暮らした町でも、もう一度見たい海でもいい。行きたい場所というのは、単なる観光地じゃないんですよね。そこには、自分の心が置き忘れてきた何かがある、そんな気がします。
- 昔の自分に会える場所
- 大切な人の記憶が残る場所
- まだ知らない自分を発見できる場所
旅に出ると、自分が毎日いる場所を、少し離れたところから眺められます。暮らしの中では大問題に見えていたことが、意外と小さく感じられることもあるものです。
そして何より、「行ってみたい」を「行ってきた」に変える喜びがある。
人生の満足って、手に入れた物の数よりも、「やってみた」という記憶の数で決まるのかもしれないな、と最近思います。
人生後半の宿題
人生の前半には、社会から与えられる宿題がたくさんありました。
勉強すること。
働くこと。
生活の基盤をつくること。
誰かを支え、責任を果たすこと。
では、人生後半の宿題は何でしょうか?
私は、自分の心に残っている「会いたい」と「行きたい」を、ひとつずつ叶えていくことなんじゃないかと思っています。それは大きな決断でなくていいんです。
- 連絡先を探してみる
- 予定を一日空けてみる
- 切符を予約してみる
- 歩ける距離から出かけてみる
宿題は、始めなければいつまでも残ります。でも、ひとつ終えるたびに、胸の奥にあった小さな後悔が消えていく。そんな感覚があります。
人生の終わりに残したくないのは、「失敗した記憶」よりも、「本当はしたかったのに、しなかった」という思いなんじゃないでしょうか。
会いたい人には、会いに行く。
行きたい場所へは、行ってみる。
完璧なタイミングを待たなくていいんです。元気いっぱいじゃなくても、十分な余裕がなくても、今できる形で動けばいい。
「いつか」を「今度」に。
「今度」を、具体的な日付に。
人生後半の時間は、失われていくばかりのものじゃありません。何を大切にするかを、自分で選び直せる??そんな静かで自由な時間でもあるはずです。
残された時間を数えるのではなく、会えた人と、訪ねた場所を数えていきたい。
それがきっと、これからの人生を悔いなく生きるための、僕らの宿題なのだと思います。
あなたは「いつか」と言ったまま、まだ会えていない人はいませんか?
まだ行けていない、あの場所はありませんか?