50代からでも、自分の大好きなことを探せるのか?

50代男が、大好きなことを探しはじめたらどうなるのか?

「がっかり」できる人生の方が、面白い

あなたはどちらの人生を選ぶだろうか。

目標を高く掲げて、届かずにがっかりする人生。
それとも、最初から低い目標にして、クリアできてほっとする人生。

たぶん多くの人は、無意識に後者を選んでいる。


責める気はない。それが自然な人間の心理だから。
私自身も、同じような傾向があったのも事実。

失敗したくない。恥をかきたくない。
「あいつ大口叩いていたのに」
なんて絶対と思われたくない。

そういう感情が積み重なると、
人はだんだん目標を低くしていく。
「まあ、そこそこ生活できればいいか」
という着地点に、自分でも気づかないうちに落ち着いていく。

でも、それで本当にいいのだろうか。


サッカーワールドカップで日本代表が
戦う姿を見るたびに、胸が熱くなりますね。
渋谷のスクランブル交差点、すごいなと思います。

選手たちは「優勝」という、
冷静に考えれば途方もない目標を掲げて戦っています。

実際には、グループリーグ突破すら簡単ではない。
それでも彼らは、誰も笑えないような高い場所を目指す。

なぜ、そんな高い目標を掲げるのか?
高い目標があるから、全力を出せるのだ。
ベスト16を目指す練習と、
優勝を目指す練習は、同じではない。
目標の高さが、行動の質と量を変える。


もちろん、高い目標を持てば、
がっかりする機会も増えるだろう。

夢に届かなかった。思ったより結果が出なかった。
あの頃描いていた自分とは違う場所にいる
そういう「がっかり感」は、
高く飛ぼうとした人間にしか味わえないものだ。

でも、考えてみてほしい。

最初から低い目標しか立てなかった人間と、
高い目標に向かってがっかりしながら
進んできた人間。5年後、10年後に立っている場所は、
どちらが遠くにあるだろうか。


届かなかったということは、
それだけ遠くを目指していたということ。
転んだということは、
それだけ速く走っていたということ。


「現実的な目標を立てましょう」
とよく言われる。

それ自体は間違いじゃない。
ただ、「現実的」という言葉が、
いつの間にか「傷つかない範囲」と
同義になってしまっている人が多い気がする。

傷つかない範囲で生きると、
確かに痛みは減る。
それはそれで悪くない人生。

でも同時に、喜びも薄くなる。
ドラマも生まれない。
どっちがいいのか?

「がっかり感に膝を折らない」
というのは、がっかりしない人生を目指すことじゃない。

がっかりしても、
何度でもた立ち上がれる人間になる

それが、目標を高く持ち続けることの
本当の意味だと思う。

ほっとする人生より、がっかりできる人生の方が、
ずっと面白い。そう信じて、
今日も少し高いところを目指してみよう。