50代からでも、自分の大好きなことを探せるのか?

50代男が、大好きなことを探しはじめたらどうなるのか?

高すぎる理想の押し付けは、ある種のパワハラである

 

もっとできる人になりたい、もっと優しくありたい。
そんな風に思ったこと、ありませんか?

 

誰しも、自分の理想像がありますが、やはり、できることとできないことがあります。
得意教科があるように、苦手教科もあるわけです。文章を書くのは好きだけど、数字は苦手とか、勉強は得意だけど、身体を動かすのはちょっと、という人はいると思います。誰とでもすぐに仲良くなれる人もいれば、人間関係は苦手というパターンだってあるはず。

 

ダイエットしたいと思っても、目の前に美味しそうな食べ物があれば、ダイエットは明日から!となってしまう人がほとんどですし、自分が嫌いな人が、うまいことやったなんて話をきけば、嫉妬したり、その人の失敗を望んでしまったりするのが人間というものです。

 

だから、いじめはよくないとわかっていても、絶対になくならないし、犯罪をゼロにすることもできなければ、嘘をつくことだってあるわけです。

 

そんな、めちゃめちゃ不完全な人間社会で、高すぎる理想を目指そうというのは、現実的ではないと思いませんか?私は、高すぎる理想を実現しようとするのは、ある種の暴力であると思っています。

 

年齢、性別、職業、見た目、学歴、国籍など、全ての差別を無くす。
理想と言えば理想ですが、あまりに非現実的です。
世界各地に残る神話を読むと、神々の世界でさえ、こんな理想は実現していないわけで、それを今の社会で実現させようということ自体、全くの絵空事です。

 

普通ならこんなことを主張する人はいないと思うのですが、とある政党がこういった差別のない日本にしたいとか言っていたのを見てしまって、正直絶句してしまいました。自分たちはすごい!正しいことをしようとしている!と思っているのかもしれませんし、差別の撤廃っていいよね、と思う人だっているかもしれません。

 

ですが、自分と誰かを比較したり、そのことで安心したりするというのは、絶対になくすことはできないと思います。これは、民主主義とか政治体制以前に、人間としての基本的な心理だから。人間の内面まで法律で縛って、差別をやめようというのは、ある種パワハラではないかとすら思ってしまいます。

 

理想的なことを言っているから、反対するのは難しい上に、反対できたとしても、「差別に反対するとは、差別主義者だ!」と攻撃してくるのは、目に見えています。自分が絶対に正しいと思っている人ほど、賛同しない人を敵対視するものです。敵を思いっきり差別的に扱うわけですが、正義な自分たちは何をしても良い、と勘違いする人もいるので、危険です。

 

こういった、人類が到達したくてもできない理想を掲げる人は、権力を持つと危ないなぁと思います。願わくば、そういう人たちが減ることを願って、明日の投票に行こうと思います。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。