50代からでも、自分の大好きなことを探せるのか?

50代男が、大好きなことを探しはじめたらどうなるのか?

嘘を許さない社会 vs 寛容な社会 あなたはどちらを選びたい?

 

嘘をついたこと、ありませんか?

最近のニュースを見ていても、学歴詐称とか、誰かの失言とか、そういうことを追求するものが多いなと思います。些細な嘘を重ねることで大事になったりするのを見ていて、嘘を追求することって、みんながそんなに求めるものなのかな?と考えさせらます。

 

誰しも一度は経験したことがあるであろう「嘘」。
小さな白い嘘から、つい出てしまった咄嗟の嘘まで、私たちの日常には様々な形の嘘が存在しています。もし、自分の周りには嘘なんて1つもないよ、という人がいたら、それ自体が嘘なんじゃないかと思います。

 

なぜ人は嘘をついてしまうのでしょうか。
多くの場合、それは防衛本能から生まれています。失敗を隠したい、恥ずかしい思いをしたくない、相手を傷つけたくない。そんな心理が、私たちに嘘をつかせてしまうのです。あなたにも、きっと覚えがあるはずです。

 

「嘘をついてはいけない」という道徳的な教えは、幼い頃から誰もが学んできたはずです。それでも、完全に嘘のない人生を送っている人は、果たしてどれくらいいるでしょうか。世界中を見渡しても、一人もいないと思います、生まれたての赤ちゃんを除けば。


現代では、嘘のリスクがかつてないほど高まっています。
SNSの普及により、過去の発言が簡単に掘り起こされ、学歴詐称や経歴の偽装は、瞬く間に拡散される時代です。以前は表に出ることのなかった、内輪の発言さえ、世界中に広がってしまうのです。たった一度の嘘が、人生を大きく左右する時代になったと言えるかもしれません。

 

企業の採用でも、個人の日常でも、真実性への要求は年々厳しくなっています。質問をはぐらかしたり、都合の悪い事実を隠したりする行為が、以前よりもはるかに大きなリスクとなっているのを感じている方も多いのではないでしょうか。

 

私たちは重要な選択を迫られています。完全な真実のみを求める厳格な社会を目指すのか、それとも人間らしい「不完全さを受け入れる」寛容な社会を選ぶのか。

 

完全に嘘を許さない社会は、確かに透明性が高く、信頼に満ちているかもしれません。しかし、そこで生きる人々にとって、果たして居心地の良い場所となるでしょうか。嘘が全く許されないとしたら、息がつまってしまう、そう思う人だっていると思います。たった1回の失言や嘘で人生がガラッと変わるとしたら、常に気が抜けない人生になると思いませんか?お酒の席で酔ってしまうことさえ、重大なリスク要因になりかねません。

 

一方で、適度な寛容さを持つ社会では、人々がより自然体で生きることができるかもしれません。完璧を求めすぎず、人間らしい弱さや過ちを受け入れることで、みんなが息のしやすい環境が生まれるのではないでしょうか。

 

もちろん、悪意のある嘘や他人を傷つける嘘は決して許されるものではありません。しかし、自分を守るための小さな嘘や、相手を気遣うための配慮ある嘘については、もう少し柔軟に考えてみる余地があるかもしれません。


大切なのは、嘘の背景にある感情や状況を理解し、相手の立場に立って考えることです。そして、自分自身も完璧ではないことを認め、他人の不完全さを受け入れる心を持つことなのではないでしょうか。情けは人のためならず、ですね。

 

あなたは、どちらの社会を選びたいですか?完全な真実を求める厳格な世界か、それとも人間らしい温かさを大切にする寛容な世界か。この選択が、私たちの未来を決めることになるでしょう。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。