50代からでも、自分の大好きなことを探せるのか?

50代男が、大好きなことを探しはじめたらどうなるのか?

備蓄米2000円で批判される日本って、もう終わってない?

 

備蓄米のニュース、連日報道されていますね?
あれを見ていて思うことがあったので、今日はそれについて書きたいと思います。

 

備蓄米の放出、これまでの競争入札を辞めて、随意契約で売るように方針転換がはかられました。早ければ6月2日にも、店頭に備蓄米が出回る可能性が出てきました。いかに、古古米とはいえ、5キロ2000円(税別)で販売されるなら、それを欲しいという人は、必ず出てくると思います。なので、ここまでの流れは評価に値すると思います。

 

でも、ニュースではこれを評価する声は、あまり取り上げられていないように感じています。それよりも、この随意契約が年間1万トン以上の米の取引がある業者に限られている点などの問題点にフォーカスをあてた、批判的な論調が多いのではないでしょうか?中小の業者がかわいそうだ、町のお米屋さんがつぶれるのではないか、などの批判です。先日まで、米を安くできない政府を批判してきたのに、それが実現する見込みが出てくると、別の批判をするって、なんか変じゃないですかね?そもそも、小泉大臣も、最初から公平性を犠牲にして、スピード重視でやるって言ったのを、忘れてるとしか思えません。もう、日本が終わってるんじゃないかと心配になってきました。

 

随意契約の参入条件を最初から、敷居を低くしていたらどうなっていたと思いますか?私の予想では、申し込みが殺到し、農水省がさばききれなくなるはず。というのも、申し込みがメールで、担当者からの返信もメールで来るという、まさに人手頼りの運用だからです。説明会に参加した300以上の業者の中で、申し込んできたのは、今朝時点で19社とのこと。この数なら、担当者が頑張れば対応できるでしょうが、条件が緩ければ、その10倍以上の業者から申し込みが殺到していても、おかしくなかったでしょうし、申し込みがあった業者を、農水省のHPで発表するなんてことも、難しかったかもしれません。仮に契約までこぎつけても、1社あたりの発注量が少なくなるため、輸送の段取りも爆発的に増えるのが目に見えています。ちょっと考えれば、最初の段階でとん挫するのは目に見えています。

 

こんな感じで、人がどんなに上手くやっても、その人の出来ていない部分を見つけては批判するという、まさに批判そのものを目的にしているのだと思えて仕方ありません。まぁ、マスコミの基本スタンスが常に批判するものを探して叩くことにあるのだから、彼らからすると、当たり前の感覚なのでしょう。

 

この、新しいことをやると結果を出しても批判される、という悪習が、日本の空気を読まなければならない、という文化とも関連していると思います。何かに挑戦しようとしると、最初から成功することはまれ。それでも失敗を恐れずに挑戦する人を評価するように社会の在り方を変えていけば、多くの人がもっとチャレンジできる社会になっていくのではないでしょうか?

 

とはいえ、このあたりは私たち一人ひとりの意識の問題でもあります。
公平性に重きをおくべきだ、という人が多ければ、米が高いままの時間が長引いてもし仕方ないと考えざるとえないでしょう。自分が理解できないことをして結果を出す人に対して、あいつの足を引っ張ってやろうという人が多ければ、出る杭が打たれる今の社会が良いってことになるのです。

 

こういう社会の風潮は、私たちが作り出していると言えます。正直者が報われる、挑戦する人が報われる、そんな社会にしていけたら最高だなと思います。そのために、今日自分ができることは何でしょうか?ちょっと立ち止まって考えていただけると嬉しいです。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。