
批判されるって、嫌ですよね?
批判されるのが好きって人はいないと思います。
だからこそ、批判された時に、どう対応するかで、めちゃめちゃ人の本質というか、その人の器が露見すると考えています。
私だって、批判されるのは嫌いだし、できることならされたくありません。とはいえ、間違えることは絶対にあるし、失敗をゼロにすることもできません。なので、ミスしたり、間違えた時に、それを正してくれる批判は、ありがたく受け取っています。そもそも、自分が絶対正しいなんて思うほど、傲慢にもなれないし、自信があるわけでもないのです。その程度が私の器でしょう。
ところが、世の中には面白い人がいます。
自分は他人をどんなに批判してもいいけれど、自分が批判されるのは差別だと決めつける人です。たとえ、相手の批判が正当なものだったとしても、相手が間違っていると疑わない人、そういう人がいるのです。自分が間違っているということが、わずかな可能性であっても受け止めることも、認めることもできない。それって傍から見ると、その人の器の小ささがはっきりと可視化されていることが明白なのですが、自分では気づけないものなのでしょうね。そこまで余裕がない、とも言えるでしょう。
企業のトップや、政治家などは、特に批判への対応力が求められると思います。蓮舫さんが、都知事選の後で、これまでのキャリアを自分で手放すようなことになっているのは、批判を受け止めきれない人だということが、可視化されたからでしょう。
表現の自由って、結構残酷だよなと思うことがあります。その自由の中に、自分自分を批判する自由も含んでいるのだから。ある作家さんは、作家になるということは、アマゾンのレビューの丘で磔になることだ、と言っていたことを思い出します。本を読んだ人からの批判ならまだしも、その本を読んでいない人からのどんな言葉も、甘んじて受けなければならないなんて、結構理不尽だと思いませんか?そして、政治家は、さらに上のレベルの批判をしっかり受け止められる人でなければ、務まらないんじゃないかと思います。
ただ、批判された瞬間は受け止められなかったとしても、周囲に助言してくれる人がいれば、そしてそういう人たちの声を聞けるのであれば、挽回のチャンスもある、そう思います。自分に厳しいことを言ってくれる、家族や友人の存在を大切にしたいですね。
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